真実後の僕、真実前の僕
そんなに遠くない冬のこと。
僕はバスに揺られていた。おそらく部活の遠征かなにかで、自分が出もしない大会に遅刻して慌てて向かっていた、というようなものだったと思う。
休日だと言うのに乗客は少なかった。僕は珍しくイヤホンを外した。
静かでも、混雑しているところは煩いのだ。人々の日常や思惑が、その呼吸を介して僕の耳に入ってくる。そんな騒々しさが満員電車にはある。それをかき消すために僕はほとんど毎朝ナンバーガールを聞いていた。
しかしその日のバスにはそんな喧騒がなかった。静かな車内だった。
ふとバスが止まった。
僕の目の前を一人の乗客が通り過ぎる。バスの出口へ向かう。運転手の元で立ち止まる。
『障害者です。』
その声は僕の耳をつんざいた。大きな衝撃が僕を襲った。それは彼の異常な声の大きさと言葉のたどたどしさだけのせいではなかった。
彼はパスケースに入ったなにか証明書のようなものを運転手に見せ、運賃を支払わずに黙ってバスを降りて行った。
その後僕は、そこに人間の差があるということを不意に提示されたことに僕は驚いたのだ、ということに気付いた。
彼はいわゆる知的障害というかそういう類のものを患った人だと、僕は降車の際の一言で察した。しかしその一言がなければ、僕は彼が僕とは一線を画した存在であるとは気付かなかったのだ。
やたら独り言を言ったりキョロキョロしたり、椅子の上に立ったりする、いわゆる障害者の方が、『障害者です。』と言って降りることに僕は何も違和感を感じない。
それは妊婦さんや松葉杖をついている人に席を譲るのと同じ感覚だと思う。
しかし同じ空間を互いに苦痛なく共有していた集団の一人に、『僕だけはみなさんと違う存在です。』と宣言されると、これはなんだかおかしいなあということになる。それは障碍者の人たちへの哀れみや同情ではない。
そんな気持ちを言語化できなかった。彼の前で僕は沈黙するしかなかった。
そして、思考が再開したのはニュースで相模原障害者施設無差別殺人事件を目の当たりにした時。
再び大きな衝撃が僕を襲った。
『障害者がいなくなればこの世界はもっと良くなる。僕は英雄である。』
そんな風に語る容疑者を僕は、気の触れたサイコパスだ、という風に一蹴することができなかった。むしろそんな思想にどこか共感してしまう弱い僕がいる、とすら感じた。
"普通"じゃない人と関係性を持つのは難しく、"普通"な共同体は普通じゃない人を排除する。
それを僕が実施しているのだとしたら、僕が語る僕のことは誰かへの暴力になっていたのである。僕が僕の日常を守るための言動が、同時に僕の日常から特定の人々を疎外し、人々を傷付けてきたのである。
僕は大きな衝撃を受けた。
僕は障害者を殺して英雄になった彼と根本を同じくしている。
受け止めるのに長い時間がかかった。
真実後の世界
「人それぞれだから」「多様性」といった言葉の氾濫に僕はいら立ちを抑えきれない。それらの言葉はもはや他者への理解への思考を断ち切るスイッチに過ぎない。無視と同義。
西田幾多郎のいうような、対立する二者が一つの共同体で均衡を保ち成立するような矛盾を孕んだ社会構造を目指すべく、真の異文化理解に努める人はどのくらいいるのだろうか。
「答えのある問題はない。どんな選択も間違いではない。」といった教えを受けた僕らはもはや正しさを求める努力をすることを諦めてしまった。めんどくさいから。
代わりに僕らはネットで人を叩く。不倫を叩く。シャブを叩く。浮気と離婚を叩く。アイドルと事務所を叩く。学生のふざけた動画を叩く。
景色を対象化する大衆。
他者を対象化する大衆。
『人を殺して見たかった』と語る青年が起こした無差別殺人事件を見て、『かわいそうだ。』『ゆるせない』と言う僕。
心中未遂を起こして一人だけ助かった男性に対して『やるなら最後までやれ。』と罵声を浴びせる僕。
反日教育を進める国家は滅ぶべきだ、と特定の民族を否定する僕。
僕らは現実で見る他者・風景・世界をすら自分の外部に存在するものとして対象化する。好き勝手にものを言う。そして『意見の多様性』を盾に正当化する。
そうすると不思議と衝突は起きない。自分の都合のいい情報だけを受信し、それ以外は無視する。これも『多様性』の名の下に許容される。
故に僕らはリアルに飢える。
僕らはリアルを求める。
ヴァーチャルの世界に浸ってしまったがための喪失感、と行った簡単な理由じゃない。僕らはもはや会話することすらできない。
そして未来への諦観が僕を貫く
もうすぐ高校生活が終わりを告げ、大学生活やその先が現実味を帯びてくる。
僕の周りは着々と動き出し、『就職率』という要素が大学選びのキーポイントにもなっているようで。
僕はふと思う。
僕の未来に可能性なんてあるのか。
もはや誰とも意思の疎通が測れなくなってしまった現代日本で僕がすべきことは、大衆の倫理にどっぷりと浸かり、同調とマイノリティー疎外を続け、『多様性』という名の盾で身を守ること。
そして、突如として自分に向けられる大衆の理不尽な怒りを受け止めるゆとりを持つことぐらいだろう。もはや未然に防ぐとかそういう次元にはもうない。
3月の卒業式で、僕はおそらく答辞を読まなければならない。
人生の岐路に立ち、僕を貫く歴史を捉え、僕は何を語るべきか。僕らは未来をどう捉えるべきか。
分からない。
僕はいよいよ自分の生を肯定できなくなり始めている。恐ろしい。