俺のお父さんはネトウヨだけど、俺はネトウヨじゃねえ。
小学生の僕に日本赤軍のリンチの話をする父親。
僕のお父さんは、千葉県の隅っこの鍛冶屋に生まれました。
そのまま育って、特に上京もせずに家から近いとある大学に就職しました。
そして僕と他に2人の子を作り、養っています。
そして僕のお父さんはネトウヨです。
気付いたのは中学三年生の頃。
僕が2ちゃんのまとめを読みだした春ぐらいに、政治板で見る内容と父親のしゃべることが似てるなあと感じました。
決まり手はとある日の夜に父親の放った『日本も核ぐらいもつべきだよね。』の一言。
あれ。なんだかこれはおかしいぞ。
そして僕にもネトウヨだった時期がありました。
僕は一時期、というか結構長い間ネトウヨでした。
2ちゃんに書いてある政治のニュースは、韓国やら日教組やらの明確な敵を共有しているからなのか、ものすごく面白かったのです。
『ナマポを不正受給するチョンは全員くたばれ。』
とか平然と言っていました。
それに加えて、父親も僕の意見に同調するので、僕は間違ってないんだ、という確証が得られました。
そんなわけで、いろんなことが僕を助長して僕をネトウヨたらしめていたのです。
ネトウヨからの脱却
高校2年生の僕は初めて自分の足と自分の目を使って、政治を見ることに成功しました。
そこで僕はやっと『政治は意見の衝突と融合なのだ。』ということを理解しました。
『対話による国際平和なんて無理だろ。早く憲法改正してくれ!護憲派の人たちなんて頭おかしいやつばっかりだ!』と思っていた僕が、たくさんの人との交流を重ねていくうちに、自分の世界の狭さを実感するようになりました。
政治を勉強するのに中立性なんていらない
決して保守的な思想が悪いわけでも、急進的な思想が悪いわけでもなくて、悪いのは『相手のことなんて理解できるはずがない』と拒絶することのように思われます。
そして僕の経験から言えることは『過激な思想を教育されたからといって、それに染まるわけじゃない』ということ。
大事なことは『いろんな思想にぶつかっていく体験を多くする』ことです。
最近『学校教育での政治的中立が〜』とか言われますが、僕ほどの感受性ビンビン系高校生ですら、最終的に自分の考えのもとにしっかり立つことができてるわけです。
だから、教え方の偏りを気にするぐらいだったら、極端でもいいから様々な視点から見た意見を教室の外から学べるような、そんなシステムが欲しいなあと思います。