高校生と武士道

イメージの言語化を図ります。

僕と憂国

今日はまじめな話を。

 

さしあたりこのブログを始めるにあたって、ブログの名前を付けなければいけませんでした。

 

かなり悩みました。こういうのは書いていく記事の方向性とか僕のイメージとか人格にもかかわって来る大事なもの。自分の子供のことだと思って考えました。

 

そしてつけたのが「高校生と武士道」という名前です。

 

僕は高校一年生の時に三島由紀夫金閣寺と出会い、そこから彼の思想にのめりこんでいきました。難解な理論と擬古文的な口調から語られていく物語に、僕は感動すら覚えました。

 

また彼自身の生き方についても同じことを感じます。

1970年11月25日。三島由紀夫が市谷駐屯地(今でいう自衛隊基地)での演説と割腹自殺が起きます。YouTubeでこの演説を聞いた時の衝撃は言葉にできません。

(↓これです。ぜひご覧いただきたいです)

 


三島由紀夫 - 檄

 

そんなこんなで僕は三島由紀夫を心から尊敬しております。

 

 

 憂うということ

 

僕は高校生になってから、いろんな活動をしていろんなことを知って、いろんなことを考えて来ました。

 

そしてそんな生活の中でふと思うことがあります。

 

『人間が誕生して何千年何万年とたっているのに、なんでこんなにも社会で生きていくのは依然としてつらいのだろう。』

 

「社会はそんな甘くないぞ!」

「簡単に普通の暮らしができると思うか!?」

「そんなことで食べていけるわけないだろ!!」

 

僕は小さいころから周囲の人からこういうことを言われ続けてきました。

小学生の頃には、将来の夢は?と聞かれたらお笑い芸人と言うよりも弁護士という方が喜ばれるということを理解するようになりました。 「いかに安定してお金を稼ぐか。」が基準に物事が語られる世の中を理解していました。

 

でもずっと心の奥では「なんでこの人たちはそんなにつらいのに生きようと思うのだろうか。」という疑問を抱いていました。

 

医療技術の進歩によって僕らは80年間ものあいだ生かされ、社会に出たら社畜・ソルジャーとして血反吐を吐きながら働き、えぐいぐらいの税金を国に納めることで社会の歯車を回し、最後には糖尿病で死ぬ。

なんか想像できちゃうんですよね。自分のこれからが。病院で迎える自分の最期が。

 

なんでそんなつらいいばらの道を歩かなければいけないの?

みんなも一緒だから?みんなと一緒に傷をなめあえれば平気なの?

 

 

なんか変じゃね?

 

 

そしてそれはいつしか『自殺』というものを正当化する理屈の一つになっていました。

 

「つらいなら楽になっちゃえばいいじゃん。」

 

ああ。なんて単純な論理なんだろう。

 

でも僕にはそれができません。僕はなんでか知らないけど『死』というものに人一倍敏感なところがあるのです。

学校の授業中に、なんかのトラブルでなってしまった火災報知機にガチでビビり、いざという時のために走る体勢を整え、校舎を出るまでのルートを頭でイメージしていました。

 

本当に怖かった。

まだ死にたくないと思った。

 

社会で生きていくために必要な辛さに耐える身心もなければ、そこからドロップアウトするための勇気もない。

とことん僕は弱い人間だなと感じます。

 

 

よくこういうことを考えます。

 

まったく同じ順序をたどりながら、ひとりでこんなことをぼーっと考えることがよくあります。

そして毎回この「僕は弱い人間だなあ」というところで夜ご飯が出てきたり、友達とのたわいもない会話が思い出されたりします。

 

そういう時に限って夜ごはんのかつ丼が妙においしいなあと感じたり、友達のギャグがじわじわきて一人で笑ってしまったりするのです。

横にいる弟の姿がこのうえなく大事なもののように思え、面白い友達を持てたことに幸せを感じます。

 

僕はそんなちいさなちっぽけな幸せのおかげで今日も生きていけてます。

(なんかメンヘラっぽくなってきてしまった。)

 

 

僕は三島じゃないし、三島は僕じゃない。

 

三島は素晴らしい小説を書いた。「現代小説は古典足りうるか」という問いに自ら答えを出した。そしてこの国を憂い、最後には自ら命を絶った。

 

じゃあ僕はこれからどんな風に生きようか。どんな道を選ぼうか。どんな未来を創造しようか。どんな最期を選ぼうか。

 

このブログはそんな、「僕の歩く道を選ぶ」ことをテーマに記事を作っていきます。

 

よろしくお願いします。